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第―章 覇者 小田原征伐~天下統一へ

J.ハイドン:「十字架上のキリストの最後の7 つの言葉」 より『地震』
J.Haydn : Die sieben letzten Worte unseres Erlösers am Kreuze Op. 51, Hob. XX/1B
Il terremoto. Presto e con tutta la forza

ストーリー

天正18年(1590)3月1日、豊臣秀吉は天下統一の仕上げとして、22万を超える大軍勢を集め、小田原城の北条征伐に向け京の聚楽第から出陣する。小田原城を落とすのに時間がかかると見た秀吉は、小田原城全体を見下ろすことのできる石垣山に本陣となる城を構えるため5万余りの動員を費やし、あっという間に城を完成させてしまう。城が完成するまで周りの樹木をそのままにしておき、完成直前に樹木を切り倒して小田原城から見えるようにしたことから、北条方にとって「秀吉は
神か天狗か」まるで一晩のうちに城が突然現れたように見えたという。

以来、この城は「一夜城」と呼ばれている。

曲解説

ハイドンは1785年頃スペイン南部の町カディスの司教ホセ・サルス・デ・サンタマリアに依頼を受けて、キリストが亡くなったとされる聖金曜日に地下礼拝堂で行う礼拝のための器楽作品を作曲、1787年にカディスの礼拝堂で初演されている。キリストが十字架上で語った7つの言葉に音楽が付され、最後にキリストが息絶えた後に起こったとされる大地震の様子が鮮烈に描かれる。日本にキリスト教が伝来したのは1594年。イエズス会のフランシスコ・ザビエルによって伝えられ、利休の高弟らにもキリスト教の洗礼を受けている者は多かった。利休が彼らとのつながりを通じて何らかの影響を受けた可能性は高いだろう。

ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集

「和声法と創意への試み」op.8 より

四季『夏』第3 楽章
Vivaldi: Il cimento dell'armonia e dell'inventione Quattro Stagioni L'estate 3.Presto RV315

ストーリー

織田信長の死後、北條氏は従属を迫る豊臣秀吉と交渉を続ける一方、天正15年(1587)からは、決戦に備えて小田原の城と城下を囲んで土塁を構築していた。各地の支城を整備し迎撃態勢を整えてたが、豊臣勢の進軍は早く、次々に支城は落とされていった。豊臣軍は武器や食料の調達・確保にも長け、豊富な物量を背景におよそ15万ともいわれる軍勢で小田原城を包囲。3ヶ月の籠城の末、ついに北條氏直は小田原城を明け渡す。

曲解説

1723年に作曲された4つのヴァイオリン協奏曲は、季節の移り変わりを標題的に表現し、協奏曲というジャンルに技術的、スタイル的な革新をもたらした。「四季」の構造的な考え方は、各季節ごとに特定の雰囲気を確立し、それを背景に物語的な出来事が展開されるというものであった。各楽章にはソネット(14行から成る、イタリアで創始された定型詩)が付され、特定の風景や情景を音楽で表現することで、人間の精神状態を描写できるかという「標題音楽」への新境地の開拓に挑んだ作品であった。尚、『夏』より第3楽章にはこのようなソネットが付されている。
嗚呼、彼の心配は現実となってしまった。上空の雷鳴と雹(ひょう)が誇らしげに伸びている穀物を打ち倒した。

J.S.バッハ:ソナタ ニ短調 BWV964より

第1 楽章 アダージョ
J.S. Bach Sonate d moll, BWV 964

I. Adagio

ストーリー

天正18年(1590年)、秀吉の北条征伐に従って利休も小田原に出陣。3月に京を発ち、7月の小田原城落城までこの地に留まっていた。この間、利休の弟子で、秀吉にも仕え当時の茶の湯の中心人物であった山上宗二を、利休が秀吉との仲をとりなして早雲寺で面会させたが、親睦のあった北条幻庵に義理立てしたため、再び秀吉の勘気を蒙り、耳と鼻を削がれた上で打ち首にされてしまう。宗二の死はやがて来る利休の悲劇の伏線となった。

曲解説

無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番イ短調 BWV1003 からの編曲で、作曲時期は1720年とされている。編曲されたクラヴィーアソナタBWV964もニ短調で書かれており、強い悲壮感、悲哀に満ちた曲想が印象的だが、バッハは1720年の春、最初の妻、マリア・バルバラを亡くし、そのわずか数か月後に無伴奏ヴァイオリンのための曲集(全6曲)を完成させている。

諸井誠:「竹籟五章」より 『芬陀』(ふんだ)

ストーリー

石垣山の城が築かれる間、富士の眺めに無聊(ぶりょう)を慰めたという利休。戦中、伊豆韮山の竹を入手して花入れをつくり秀吉に献じたが、気に入らなかった秀吉はこれを庭に投げ捨てたためひびが入ってしまう。そこで弁慶の釣鐘にちなんで「園城寺」と名付けられたという。

曲解説

60年代初頭に作曲されたこの作品は、小手先の尺八技法と実験的な現代作曲技法を並置した魅力的な作品である。無調性、実験的な演奏法(フラッター・タンギング、クロスフィンガリング)、ポルタメントや四分音符、激しい不協和音、跳躍進行、突然の形式的変化などに、ムライキ、メリ、カリ、リップスラー、玉音(スロートトーン)といった尺八の標準的な技法が使われている。

第二章 蜜月 天下人の茶

J.S.バッハ:チェンバロ協奏曲ヘ短調

BWV1056 より第1楽章

J.S.Bach : Concerto f moll, BWV 1056 I. Allegro moderato

ストーリー

天正10年代に入ると、利休の権威はその隆盛を迎えると同時に、利休の茶の湯もこの頃に大成の域に達する。天正13年(1585)10月7日、秀吉の関白就任を記念して行われた禁裏茶会で正親町天皇に茶を献上した秀吉の後見役を務めた利休は、天皇より「利休居士号」を下賜され、名実ともに天下一の宗匠としての地位を確立。天正15年10月1日、秀吉は北野天満宮の境内において北野大茶の湯を催す。この茶会は天下をほぼ統一した秀吉が、その権勢を天下に知らしめるために行われ、秀吉が所持していた秘蔵の名物茶器・道具が展観されたという。利休は津田宗及、今井宗久らとともにこの茶会の推進役として演出に関わり、境内には800ヶ所に及ぶ茶点て所が設けられ、当時の茶の湯の流行に大きな影響を与えることとなった。

曲解説

原曲は消失したヴァイオリン協奏曲 ト短調であるとされており、1738年から1742年頃にかけて作曲されたと考えられている。聖トーマス教会のカントルとなったライプツィヒ時代にコレギウム・ムジクムに指揮者として 招かれ、カフェ・ツィンマーマンなどで毎週演奏会を催していた。そのために作曲された独奏チェンバロ用の作品は8曲残されており、そのうちの一つと考えられる。

諸井誠:「竹籟五章」より 『明暗』

ストーリー

茶の湯において光と影は、茶室という空間と道具、そして自身と他者が渾然一体となり、意識を研ぎ澄ませるためになくてはならない要素であった。天下統一を果たした秀吉が天皇に茶を献じるために作らせた「黄金の茶室」、対して利休が築いた土壁に囲まれたわずか2畳の現存する唯一の茶室「待庵」。対極に位置するように見える茶室ながら、どちらにも利休が関わっている。圧倒的な影とわずかな光に支配された茶室空間では権力の象徴であった茶道具も道具はあくまでも道具にすぎず、人や自然から生を享受することこそ茶の湯の真髄であることを伝えている。

 

曲解説

60年代初頭に作曲され、小手先の尺八技法と実験的な現代作曲技法を並置した魅力的な作品である。無調性、実験的な演奏法(フラッター・タンギング、クロスフィンガリング)、ポルタメントや四分音符、激しい不協和音、跳躍進行、突然の形式的変化などに、ムライキ、メリ、カリ、リップスラー、玉音(スロートトーン)といった尺八の標準的な技法が使われる。不協和音程であるトライトーンの頻発は、西洋音楽で最も慎重に扱われているが、この曲では伝統的なモダリティ(例えば「都節音階」)の中で、尺八の開放音にリラックスして解決される不安定なメリ音やカリ音にテンションがかかり、この作品『明暗』を特徴づけている。

J.S.バッハ:チェンバロ協奏曲ヘ短調

BWV1056 より第2楽章

J.S.Bach : Concerto f moll, BWV 1056 II.Largo 

ストーリー

秀吉はある日、利休の屋敷の露地に美しい朝顔が咲き乱れているという噂を耳にし、朝顔の茶の湯を所望した。当日秀吉が利休の屋敷を訪れると、庭の朝顔は一株残らず引き抜かれて、何ももない。あっけにとられながら茶室に入ると、床には見事な朝顔が一輪だけ入れてあり、これには秀吉も大いに感心したと伝えられている。

曲解説

原曲は消失したニ短調のオーボエ協奏曲であると考えられており、弦のピッツィカートによる伴奏を背景に繰り広げられる甘美な旋律が印象的な楽章。

​8

J.S.バッハ:チェンバロ協奏曲ヘ短調

BWV1056 より第2楽章

J.S.Bach : Concerto f moll, BWV 1056 II.Largo 

ストーリー

北野大茶湯を主管し大成功に導いた利休は、完成した聚楽第内に屋敷を構え、築庭にも関わり、禄も3,000石を賜わるなど、茶人として名声と権威を誇った。一方、草庵茶室の創出・楽茶碗の製作・竹の花入の使用をはじめるなど、わび茶の完成へと向かっていく。秀吉の政事にも大きく関わっており、大友宗麟は大坂城を訪れた際に豊臣秀長から「公儀のことは私に、内々のことは宗易(利休)に」と忠告されるほど、利休の政権中枢での力は増大していった。

曲解説

原曲は消失したヴァイオリン協奏曲 ト短調であるとされており、リトルネッロ形式(主題を何度も挟みながら進行する形式)による舞曲風の活発なフィナーレ。エネルギッシュでリズミックな性格を特色としている。

第三章 相克

ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集

「和声法と創意への試み」op.8より

四季『冬』第1楽章

Vivaldi: Il cimento dell'armonia e dell'inventione  Quattro Stagioni  L'inverno 1. Allegro non molto RV297

ストーリー

小田原征伐を終えて天下統一を成し遂げた翌年の天正19年(1591年)1月、秀吉は最も信頼していた実弟で、豊臣政権を陰から支えてきた秀長を亡くしてしまう。利休とももっとも親しい間柄にあった秀長の死がきっかけとなり、利休弾劾の声が上がるようになる。

曲解説

1723年に作曲された4つのヴァイオリン協奏曲は、季節の移り変わりを標題的に表現し、協奏曲というジャンルに技術的、スタイル的な革新をもたらした。

「四季」の構造的な考え方は、各季節ごとに特定の雰囲気を確立し、それを背景に物語的な出来事が展開されるというものであった。各楽章にはソネット(14行から成る、イタリアで創始された定型詩)が付され、特定の風景や情景を音楽で表現することで、人間の精神状態を描写できるかという「標題音楽」への新境地の開拓に挑んだ作品であった。尚、『冬』より第1楽章にはこのようなソネットが付されている。寒さの中で身震いしている。足の冷たさを振り解くために歩き回る。辛さから歯が鳴る。

​9

CPEバッハ:チェンバロ協奏曲 ニ短調 Wq23より1楽章

C.P.E.Bach :  Konzert für Cembalo, 2 Violinen,

Viola und Basso continuo in d-Moll, Wq 23, H.427 

I. Allegro

ストーリー

天正19年(1591年)、利休は突如秀吉の逆鱗に触れ、堺に蟄居を命じられる。大徳寺の山門は応仁の乱によって大破し、長らく放置されていた。利休は晩年にこの山門修築の事業を引き継ぎ、門の上に閣を重ねて楼門を造り、金毛閣を寄進した。その落成にあたって山門供養のために利休が春屋和尚に依頼し、その求めに応じて書かれたのが「千門萬戶一時開」の一偈であった。この文は、利休の影響力が自分の影響力を超えていると考え、秀吉を怒らせてしまう。前田利家や古田織部、細川忠興ら大名である弟子たちが奔走したが助命は適わず、京都に呼び戻された利休は聚楽屋敷内で切腹を命じられる。

曲解説

1748年、ベルリンの宮廷で作曲されており、父であるJ.S.バッハの鍵盤作品を規範としながらも対位法の要素はあまり取り入れず、装飾や走句を多用し、唐突な雰囲気の変化や大胆な転調によって感情を直接的に表現しようとする「多感様式」の特徴が色濃く表れた作品。

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琴古流尺八本曲:『夕暮の曲』

ストーリー

切腹を命じられても利休は動じることなく、不審庵で茶湯の支度をすると、尼子三郎左衛門、安威摂津守、蒔田淡路守の三検使を迎え入れ、織部の茶碗、自作茶杓などで一服の時を過ごしたと伝えられている。

曲解説

琴古流本曲『夕暮の曲』には、夏の夕方に聞こえるセミの声への絵画的な引用が含まれており、孤独で寂しい印象を与える。鐘の音や、仏教で言うところの極楽浄土を意味する、西に沈む夕日の雰囲気など、宗教的な引用もあるようだ。音楽的には、そのモダリティが曖昧で、不安定な音色と、異世界を思わせるような多くのピッチベンド奏法、メリ奏法や手打ちのフレーズに満ちている。「侘び」の洗練された素朴さを音楽的に完璧に表現しているように思える。一見単純に見える竹の笛尺八、実は最も厳しい鍛錬を要求される。五つの指穴の短調のペンタトンニックの開放音以外のモードを演奏するには、尺八奏者は顎やアンブシュアの角度でメリ音(フラット)やカリ音(シャープ)の素法、尺八の特独な世界がある。指使いではなく、口でクロマティックな音階を奏でる、非常に繊細なフレットのない笛と言える。

PEバッハ:チェンバロ協奏曲 ニ短調 Wq23 より第2楽章

C.P.E.Bach :  Konzert für Cembalo, 2 Violinen,

Viola und Basso continuo in d-Moll, Wq 23, H.427 II. Poco andante

ストーリー

前田利家や古田織部、細川忠興ら大名である多くの弟子たちが利休の助命に奔走したが、「秀吉に頭を下げれば助命が叶う」との嘆願も聞き入れず利休は全てをはね除け、死を選ぶ。

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PEバッハ:チェンバロ協奏曲 ニ短調 Wq23より第3楽章

C.P.E.Bach :  Konzert für Cembalo, 2 Violinen, Viola und Basso continuo in d-Moll, Wq 23, H.427 

III. Allegro assai

ストーリー

切腹に際し、弟子の大名たちが利休奪還を図るおそれがあることから、秀吉の命を受けた上杉景勝の兵三千の軍勢、騎馬百騎、弓、鉄砲四百梃でいよいよ屋敷が取り囲まれてしまう。

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第四章 静謐  千利休の死

古典本曲:『打破』

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ストーリー

利休は自刃に際し、天正19年(1591)2月25日、辞世の偈をしたためている。利休遺偈(りきゅうゆいげ)には「人生七十 力囲希咄 吾這宝剱 祖仏共殺 提ル我得具足の一太刀 今此時そ天に抛」と記されており、死を恐れることのない気迫があらわれている。そして28日。朝から荒れた天候で、雷鳴もとどろいたが、利休屋敷の一隅では、静寂の時間が凝結した瞬間、利休は蒔田淡路守の介錯で自刃し果てている。血の海に横たわる夫の遺骸に、宗恩は声もなく綾の白小袖をかけたと伝えられている。

曲解説

尺八の世界では、古典本曲は琴古流に比べると厳格で苛烈である。世俗の憂いから離れ、優雅なフレージングと絶妙な色彩の静謐な美しさで、例えていうなら宇治の平等院を彷彿とさせ、恰も浄土を醸し出しているようだ。一方「打波」は、ストイックな息のコントロールとストレートな音程を要求し、テレビや映画の時代劇の尺八のイメージに近い。感情的で、ほとんど土俗的と言える尺八の特徴を提示している。『夕暮の曲』と同様『打波』は 絵画的なものと神聖なものが混在しているようだ。岩に打ち付ける波音か、より高い意識へと突き進む瞬間か。尺八のヨーロッパの古楽器との共通点は、産業革命による楽器改造の木管の繊細さから離れる合理化、音量の狙い、金属、メカニズム、の影響がないところと言える。

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